傘(かさ)―ある特許の物語―
プロローグ 傘
中秋の名月というものを、あの年ほど長く見上げたことは、後にも先にもない。
二〇一六年、九月十五日
僕は日枝神社の石段の途中で足を止めて、赤坂の街並みの向こうから、音もなくのぼってくる月をただ眺めていた。夕闇はまだ浅く、ビルの窓のひとつひとつに、暮れ残りの空が映っていた。その灰色の底から、まるい月がひとつ、静かに浮かび上がろうとしていた。
その日の昼、僕は特許庁で特許料の納付をすませてきたところだった。上着の内ポケットには、受け取ったばかりの控えが一枚。ただの紙きれだ。けれど、その一枚にたどり着くまでに、僕は二年という時間と、それまでの人生でいちばん多くの「ありがとうございます」を、使い果たしていた。
――特許が、とれた。
胸のなかで、何度そうつぶやいてみても、思い描いていたような歓声は、どこからも湧いてこなかった。かわりに満ちてきたのは、しんと静かな汲みたての水のような気持ちだった。冷たくて、澄んでいて、それでいてどこか満ちている。そういう静けさだった。
この特許を、僕はずっと一本の傘のつもりでつくってきた。
父が遺した小さな会社と、その代表を継いだ母とを、これから降ってくるであろう雨から護るための、傘。
傘は、できた。ようやくできたのだ。
けれど――その傘で護るはずだった人は、もう、いなかった。
母がこの世を去ったのは、その年の五月のことだった。
父が逝ったのも、中秋の名月の夜だった。二〇〇七年のことだ。それからというもの、毎年めぐってくるあの月は、僕にとって父を偲ぶよすがになった。
二〇一六年の名月は九月十五日。
特許の査定はその一週間前に届いた。だから僕は特許料を納める日を、この一日に決めていた。父を送ったのと、同じ月の下で。
偶然だったのは、父が名月の夜に逝ったこと――ただ、それだけだ。その名月の日を選んだのは、ほかでもない僕自身だった。
父が名月の夜に逝き、その名月の日に、僕が傘を仕上げる。これがただの巡り合わせなのか、それとも――そのことを、いまはまだ、うまく言葉にできずにいる。
石段の上から街を見下ろしながら、僕はこの二年のことを、はじめから順に思い返していた。
右も左もわからないまま、たったひとりで特許庁の門をくぐった、あの最初の一歩のことを。
道の途中で出会い、名前も知らぬまま別れていった、たくさんの人たちのことを。
そして、会ってほんの数分で、僕の心の真ん中を言い当ててみせた、あの弁理士のことを。僕がいまも、ただ“Mさん”とだけ呼ぶ、あの人のことを。
ひとりでは、どこにも行けなかった。
それだけは、はっきりとわかっていた。
月は、少しずつのぼっていく。その淡い光が、石段を、僕の肩を、赤坂の屋根屋根を、音もなく濡らしていく。
――話は、二年あまり前の、ある小さな思いつきから始まる。






























































