昭和の想い出ーその9
『ケガとダイヤモンド』その2
その1からの続きです。その1はこちら
奥津先生との出会い
奥津先生が発した一言は『やはり曲がらないね』でした。手術決定残念ーっ
がび〜んショックショックタ〜イムショ〜ックでした
ある程度覚悟はしてたんですけどね、まぁ確かに右手薬指はほとんど役に立たなくなっていたので、手術して日常生活に支障をきたさないようにと、覚悟を決めました。
この年の夏休みと、翌年の夏休みに手術は2回したので、中学時代のプールの記憶はほぼありません。
※今ではきれい(?)な手です。薬指だけ反らせません。
多分ですけど、手術したのは中2の夏休みの話だと思います。
というのも、手をケガした時に砂場でバク宙をして遊んでいた記憶があるので、中一の夏休み前にはバク宙できなかったんですよ。
知らない同級生が、砂場でバク宙をしていたのを見て、ショック受けてその日から芝生の上で泣きながら練習を始めたんですけど、何度やっても出来なくて悔しくて、泣きながら練習してやっと出来るようになりました。
その時、砂場でバク宙していた子とは親友になって、JAC(現在のジャパンアクションエンタープライズ)の練習を見に、大久保のスポーツセンターまで自転車で行ったりしていました。
『二人で東亜学園の体育科に進学して、一緒にJACに入ろう』なんて話していましたが、結局別々の高校に進学して大学で再開今でもたまに連絡取ったりしています。
神奈川県高津の方で、空手道場を経営しています。
リンク貼っておきますので、良かったら覗いてみてください。
立ち上げの時は、僕も手伝いにいったりしていました。
ピアニストは諦めてください
僕のケガにうってつけの、その筋では有名な先生だからと紹介していただき、奥津先生を訪ねて日赤医療センターを訪れました。
その時に言われたのが、
『手術をして腱を繋いだとしても完全に元に戻るわけではないので、複雑な動きはできません』
『ですので、もしもピアニストを目指しているのでしたら、ピアニストは諦めてください』
『ガビーン』・・・ピアノ弾いたことすらなかったんですけど
で、その年の夏休みに一回目の手術をすることになりますが、この日のことは忘れられません。
手術は、切れてしまった腱がまだ生きていたら繋げる、生きていなかったら、右手の上腕にある二本の腱のうち一本を取って薬指の腱として繋げる。というものでした。
人間の身体には、予備があったりするんですってね。
拳をぎゅっと握ると、二本の腱が浮き出てきますよね?たまにない人もいるそうなのですが、僕は2本あったので、そのうちの一本を切っても大丈夫だからと言われました。
そして手術が始まりました。
※手首付近の手術跡は、成長と共にかなりズレています。
右手の先はパーテーションで遮られて見えないようになっていたのですが、手術中に奥津先生が『お〜い、見てみるか』と声をかけてきた時はさすがに遠慮しました。そんなにハート強くないので
若かったせいもあって、奥津先生が思っていた以上に薬指の腱は丸まってしまっていたみたいです。
手首付近まで丸まってしまった腱は使い物にならないので、やはり上腕の腱を切って薬指の腱として繋げることになりました。
手術時間は3時間くらいに及んだのですが、途中から右手が鈍い痛みに襲われ始めてきました
僕は、どちらかというと痛みには強い方だと思いますが、その痛みがかなりとんでもない痛みになってきたんですね
どう表現したらよいのか分かりません、手術をしているのは肘から先なんですけど、腕の付け根辺りが痛いんですよ。
その痛みは切り傷のような鋭利な痛みではなくて、鈍くて重い痛みというか...うまく説明できなくてすいません
でも、とにかくこれはちょっと伝えないと
そう思った僕は、手術中の奥津先生に声をかけました。
※手術の記念にばばちゃんが撮影した写真(懐かしい〜)
『バカ!お前・・・』
『すいません、右手の付け根あたりが痛いんですけど』・・・と。
すると、看護師(当時はまだ看護婦でした)さんに何かを確認していた奥津先生が、看護師を叱り飛ばしました
『バカお前・・・ほにゃらら..ほにゃらら....!!!』
どうやら看護師さんが点滴する何かを間違えていたのかなアベシちゅどーんやっちまったな〜
そして奥津先生が、僕に声をかけてくれました。
『ゴメンな痛いと思うけど、あと少しだから我慢してくれ』
それから、どれくらいの時間が経ったのかは覚えていません。
でも、けっこう痛かったすよ、マヂで僕も心を燃やして乗り切りました。
そして、手術は無事に成功。
痛み止めやらいただいて帰宅するのですが、その日はずっと痛かったです。
※手のひらの真ん中付近を開いたんですね。
西永福から自宅への帰り道には、余りの痛みに耐えきれず母に『少し休ませてほしい』といって、公園のベンチにしばらく座ったのを覚えています。
だいぶ経ってから、母が『痛みに強いあんたが、あんなに痛そうにしていた姿は珍しかったから、あの姿は私も忘れられない』と言ってました。
2〜3日痛かったです。
でも、やがて痛みも落ち着いてくるもんですね〜。
片手での生活って、ほんと大変ですよね。五体満足が一番有難いことだとつくづく思いました。
手術から3週間後、いよいよ抜糸の日がきました。抜糸ですよ抜糸奥さん抜糸です
抜糸も痛いすよ、20〜30針くらい縫ってたんじゃないですかね、血は出るし貧血ぽくなって、途中から寝ながら抜糸してもらいました。
で、ちょっとビックリしたのが、3週間ガッチリと固定されて全く動かしていないと、ドアノブをつかむことすら出来なくなるんですね。
全く力が入らなくなるんです
爪も全く伸びていなかったような気がします。
奥津先生からは完全に元に戻るには数年掛かる。と言われました。
抜糸したときに、指の握力を戻す為にとリハビリ用の機材をいただいてきたので、それをつけて毎日練習してました。
※今でも第一関節は曲げられないんですよね〜(でも薬指でよかったかも♪)
プーリがない?!
手術後にリハビリを頑張った僕は、ドアノブを掴んで回せるくらいになりました。
無事に爪も伸びるようになりました
薬指は、ある程度曲がるようにはなったんですけど、曲げようとすると腱が引っ張られて、ぴょこんと浮いてきちゃうんですね。
それでそれ以上は曲げられない。そんな状態でした。
ある日奥津先生が言いました。
『YOU!もう一回手術しちゃいなよ』
どうやら、指を曲げようとすると腱が引っ張られてピーンと張りますよね、それを押さえるプーリというものがあるんですって、ちょっと奥さん聞いた〜すごいわね、人間の身体って〜
僕の右手薬指の無くなってしまったプーリの代わりに、今度は左手の上腕の腱を取ってきて薬指に巻き付ける。という手術でした。
中3の夏休みに、2回目の手術をしたんですけど、実は全く記憶になくて何でですかね?
多分一回目の手術の傷みやら、インパクトが強すぎて、それを越えられなかったんでしょうね。
一回目の手術の時は石膏で固められて、包帯でぐるぐる巻きでしたが、二回目は左手にも包帯を巻いていましたが右手は薬指だけだったので、生活に不便さも感じなかったからでしょうね。
どうやら、その手術をしたのは僕が第一号だったみたいで、『その後の経過が知りたいから』と、高校に進学してからもたまに奥津先生のところに行っていました。
奥津先生は、僕がイメージしていた医者とは違う、良い意味で昭和の男でした。
奥津先生には本当に感謝しています。ありがとうございました。
※中2の夏休み 母と兄とクロと
ダイヤモンド
両親や、奥津先生との出会いもダイヤモンドですが、実は僕のケガにはダイヤモンドが関係していたらしいのです。
母が亡くなる前に教えてくれた、ちょっと不思議な話です。
理由は分かりませんが、“母がダイヤモンドを身に着けると僕が大きなケガをする”というものでした。
小さい頃の話では、下高井戸八幡神社での車との接触事故がそうらしいです。
その後も、母がダイヤモンド(指輪だかネックレスだかわすれました)を身につけると必ず僕がケガをしていたそうです。
僕がケガをすると、そのダイヤモンドを身体から外して...しばらくして又ダイヤモンドを身に着けると僕がケガをして...の繰り返しだったらしいです。。。。。。
僕が中学に進学して、ケガをしなくなったので『もう大丈夫だろう』
そう思って、母がそのダイヤモンドを身に着け始めた矢先に起こったのが、今回のガラス事故だったのだそうです。
結局母は、あの時の僕のケガを最後にダイヤモンドを身に付けることなく2016年に旅立っていきました。
あれは本当に不思議だったし怖かった。と言っていました。
因果関係は分かりませんが、母が生前教えてくれた最後のお話でした。
最期までお読みいただきありがとうございました。
あなたの日常が素敵でかけがえのないものでありますように願いを篭めて
宇宙犬ベス。笑
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世の中には千差万別な素材、多種多彩な色合いのお財布があります。
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