昭和の想い出ーその13
『幻のインターハイ・返還の年』その2
その1からの続きです。
当時の目黒高校について
現在の名称は目黒学院中学高等学校となっていて、男女共学で中高一貫コースや進学コースなどもあるようですが、当時の目黒高校は男子校で中学校はありませんでした。
進学コースなどはなく、同じ敷地内に普通科と機械科の校舎がありました。
あまり偏差値が高い学校ではなくて『シリメ』と呼ばれ、偏差値が高かった都立目黒高校を『トリメ』と呼んでいました。
勉強での進学率は低い高校でしたが、運動部に力を入れていて運動部推薦で大学へ進学する人が多かったです。
当時強かったのは、相撲部、ゴルフ部、ラグビー部、空手道部などでした。
いろいろあって、当時名将と言われていた梅木監督がラグビー部を追われて野球部の監督になった年でもありました。
僕の中学の同級生は、梅木監督を追ってラグビー部に入部しようとしたところ、野球部の監督に就任したことを知って、野球部に入部してました。
『俺は梅木先生に指導されたくて目黒に来たから』みたいなことを言っていました。
カリスマ指導者だったんですね〜
野球部に入部した同級生は、毎日4時起きだか5時起きで頑張っていました
梅木先生はもう旅立たれたそうですが、偉大な指導者でした。
※何年か前に撮った写真
僕よりも上の年代の方は、目黒高校と言えばラグビー部というイメージだったと思います。
それくらい有名で、松尾雄治さんも目黒高校のラグビー部出身です。
でも、実は空手道部もその筋では有名で “空手やってて目黒を知らない奴はモグリ” なんて言われるくらい空手道部も有名でした。
目黒高校空手道部出身で一番有名なのは、中達也先輩じゃないでしょうか。
中先輩以外にも、凄い人がゴロゴロ居たりします
自分たちが高校3年生の時には、よく中先輩がいらっしゃってサンドバッグを蹴られていました。
ジャニーズのような端正なお顔立ちに、数々の武勇伝をお持ちの方で“かわいい顔した悪魔”の通り名で有名な方ですが、後輩の自分たちには優しく接して下さいました。
卒業するころには、ご飯に連れて行っていただいたこともあります。
その中先輩ですら『2億円もらっても目黒時代には戻りたくありません』と言われていました。
先日、目黒出身で仲良くしてもらっている後輩と酒をのでいる時に、僕は目黒高校時代で『一番楽しい時間は寝ている時間だった』というと、その後輩は僕と逆の発想で『目黒時代は、夜眠るのが嫌だった』と言っていました。
理由を聞くと、『朝がきてしまうから』でした。
同じ境遇でも、人によって考え方ってここまで違うんですね〜。勉強になります
そんな目黒高校空手道部でしたが、戦績は凄かったんですよ。ホントにまぁ、僕らの代はアレでしたけど
僕らの代って、ちょっと特殊な代だったんです。
というのも、当時の空手道部の顧問であった村上先生のご子息が同級生にいたんです。
先生も辛かったでしょうし、息子も辛かった、僕たちも辛かった・・・誰のせいでもなくて、そういう年だったんです
※目黒高校の校庭は本当に狭くて、テニスコート1面分くらいです。
目黒高校の当時の練習メニュー
・朝練
通常時は、朝練(自主練だけど1年生は週2〜3回必須)で7時だか7時半位〜、ベンチプレスとかしていました。
試合2週間だか3週間前になると、毎朝7時からの全体朝練習になります。
1年生は先輩たちが来る1時間前には到着していなければならないので、始発電車とかで学校に行っていました。
朝の自主練は僕たちが3年生になると廃止されて、毎日朝7時からの全体練習になりました。
加えて、先生の家に寝泊まりするプチ合宿もちょくちょく入る様になりました。
まぁ、ほんと弱かったのでしょうがないんですけど
※体育館へと通じる階段を見ると憂鬱になるんですよ。
・昼練
昼休みは体育館での昼練習。
1年生がサンドバッグ突きをして2年生が指導するのですが
『お前たちが出来てないんだから』と3年生から言われ
僕たちは2年生になってもサンドバッグを突かされたりしていました
楽になってないやん
1年生がサンドバッグ抑えてましたマヂすか
当時の先輩たちの祝勝会の写真みたら、1年生がきれいな手をしていて、僕の手は拳部分が赤いカサブタになっていました
ずっとではありませんでしたが。そんな時もありました。
最近になって先輩から言われたのは、先生からの指示だったそうです
兎に角2年生になっても全然楽にならなかったので、僕と皆川君も辞めるに辞めれなくなっちゃったんですよね〜
2年生になっても、3年生から『お前たちは1年生のままだ』なんて言われたりしたもんだから、2年生の5月に辞める同級生もいました。
自我というか自覚が芽生える前に3年間が終わってしまったというか
先生が、息子の代を強くしようとし過ぎて色々してくれたことが逆効果になってしまったようです
・放課後練習
メインの練習です。
僕が2年生までの練習時間は2時間〜2時間半程度だったと思います。2年生まではですけど・・・( ;∀;)・・・。
練習内容はたしか、縄跳び〜ストレッチ〜移動基本〜ジグザグ〜基本組手〜応用組手〜(試合)
他にサーシとかチューブトレーニング、ピンポンダッシュ(いたずらじゃないよ)とかあったような・・・
試合が近くなってくると、試合の割合が増えていくような感じでした。
今、考えてみると練習時間自体は2年生までは、そんなに長くなかったように思います。先輩たちが強かったので
でもですね、皆さん“寸止め空手なんて、結局寸止めなんだから” とか思っていませんか?
先輩の機嫌が良い時はソフトコンタクトなんですけどね、、、、、、。
週に数回は・・・・ですよね。
お陰様で、腹筋は鍛えられました
口の中はしょっちゅう切れていたので、みそ汁飲むのがシンドかったです
前歯で唇の下の皮膚を貫通したときなんて、水を口に含んで口を膨らませると、穴が開いた唇から、水がピュ〜っと出てきたこともありました
それから暫くして、マウスピースが導入されました
そんなわけで、その3に続きます。
最後までお読みいただきありがとうございました。
あなたにとって、素敵で幸せな日常でありますように願いを篭めて
※2年時の空手道部スキー合宿にて
昭和の想い出ーその13
『幻のインターハイ・返還の年』その3へ続きます
昭和の想い出ーその13
『幻のインターハイ・返還の年』その1
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昭和の想い出ーその12
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人生の想い出ー番外編
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