人生の想い出
2023年6月現在で、僕は54歳になるんですね。
西暦1969年1月23日に生まれたので、54歳になるのですが、元号でいえば昭和44年酉年のみずがめ座
血液型は、日本人に一番多いといわれる血液型でA型です。
高島家に次男として生まれ「成央」(なるお)と命名されました。
子供のころは自分の名前があまり好きではなかったのですが、成人したのちに父から“中央にでて男に成るように”と願いを篭めて成央と命名だと教えられてからは、段々と好きになっていきました。
自分の子供の男の子二人には、父からいただいたその成と央をつけた名前にしました。父からのつながりを子供たちの名前に篭めたかったからです。
一緒に住んでいた家族は、祖母(母親の母親)、父、母、5歳上の姉、4歳年上の兄、そして僕を入れた六人家族でした。
幼少の頃より泣き虫で、大粒の涙がボロボロとこぼれていたそうです。
小さい頃に自分が流した涙で足元に水たまりができていたのを覚えています。
いつの頃からか、引っ込み思案になってしまいましたが、積極的で初めて会った子にも話かけて、誰とでもすぐに友達になって一緒に遊んでいたそうです。
小さい頃、母親が道端で会う人、会う人から「さっきナルオ君アッチに居たわよ」と、全然違う場所を言われるので、まるで何人かいるようだと思ったそうです。
短い時間であちこちに出没していたんですって。
落ち着きがなかったんでしょうね。笑
幼い頃から、いつもどこかをケガしていて子供の頃の写真を見ると、顔に絆創膏を貼っているものばっかりです。
小学3年生くらいのときに同級生がしていたとんぼ返りをみて、兄と二人でトンボ返りの練習ばっかりしてました。
4、5年生くらいのときにはバク転の練習を二人でやってばかりいたので、二階の両親の寝室床がへっこんでしまって自宅でのバク転禁止になりました。笑
中学卒業前に“高校進学しない”と言い出して、家族会議を開いて皆から説得されて高校に進学することになったのですが、進学先の目黒高校で入部した空手道部では散々な目に。泣
でも、そのお陰で日体大に進学させてもらいました。
フロリダのアリゲーター革鞣し工場で働いていた時期があったり、役者を目指して活動していたこともありました。
Vシネマや、昼ドラに出演させてもらったり、明治座の舞台に出演させてもらったりもしましたが、父が亡くなったことをキッカケにエキゾチックレザー一本で生きていくこととしました。
そんな僕のこれまでの人生を振り返ってみながら、思い出話を元号毎に書き綴ってみたいと思いますので、よろしかったらご一読いただけますと幸いです。
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◆人生の想い出ーその1昭和の想い出・1『家の前の飯場と八幡神社と』
◆昭和の想い出ーその2『座敷わらしと建て替えと』
◆昭和の想い出ーその3『川崎大使とくず餅と』
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